是非、曲を聴いて見てください。
今回のプロジェクトに寄せて
ロバパンと聞くと、あのメロディー♪が聞こえてくる人には非常に残念な閉店のニュースが飛び込んできました。60年前から熊本で愛されたロバパンがなくなるというのです!地元の新聞に大きく取り上げられた記事を、たまたま、目にして「これぞ私の仕事!!」とビビビっときた女性がいました。 小さい頃から歌が好き、パン屋さんで働いて、自分でもパン教室を開き、そして近所の子供たちを集めて紙芝居を楽しむ♪こんな彼女がロバパンを引き継いで、ロバパン号であなたの街に紙芝居と共に蒸しパン届けますよ!というプロジェクトです。
熊本で60年間愛されたロバパン
(ロバパンとは?) まんじゅうと蒸しパン屋からスタートした(先代)創業者 桑原貞吉氏は昭和6年京都にて「株式会社ビタミンパン連鎖店本部」を設立。「連鎖店」とは昨今はやりのフランチャイズチェーンの走りである。これこそが、昭和30年代に活躍した「ロバのパン」のルーツである。 売り方も独特で音楽をセールに活用した。貞吉氏は大正琴が得意で、丁稚奉公時代には饅頭の行商の時も楽器を持って売り歩いたという。また、西国観音巡礼の最後の札所、谷汲山華厳寺の祭りには、昔のラッパ型の蓄音機を鳴らして販売した。音楽が客を引き付けることに着目した日本でも初期の例であろう。
あの有名なテーマソング「パン売りのロバさん(通称:ロバパンの唄)」が全国の町や村で流れ出したのは、昭和30年の初めである。 ロバパンの最盛期。昭和30年ころには全国150件以上の規模に膨れ上がり、熊本では1950年代半ばに登場した。 はじめは小型の馬一頭と、2台の車からのスタートとなった。その後、60年もの間、熊本の人たちに愛され、2017年6月でたくさんの人たちに惜しまれながら閉店となっている。 長年熊本で愛されたあの懐かしのメロディと素朴な味わいの蒸しパン。 この味は私たち熊本県民にとってソウルフードと言えるでしょう。 そんなロバパはの営業途中よりチェーン店を離れたということもあり、今、ここに名前を「パン売りのロバのパン屋さん®︎熊本本舗」に変え、再び、皆様のところに登場しようとしています。
「ロバのパン屋」愛された60年 / 熊本日日新聞社 提供
NPOまちかど紙芝居モネイロ.
私は小さい頃からずっとうたを歌ってきました そして、4年前に子育てを通じて出会った紙芝居で「NPOまちかど紙芝居モネイロ.」を立ち上げました。 紙芝居と言えば、私が幼少の頃、母と弟とで二本木にある母の実家を訪ねた時.偶然出会った、紙芝居のじいさんの事を思い出します。今から約35年も前の事です。多分、この方もそろそろ、引退される頃ではなかったのでしょうか。 母からお駄賃をもらい、弟の手を引いて駄菓子屋に向かってると、そこへ三角自転車に乗ったじいさんが現れ、その後を追いかけて来た子供達が口々に「あめせんください」「ジャムせんください」と普段見慣れない光景と言葉に、私も紙芝居なら水あめが買いたいなぁと思いながら、誰も注文しないので、恥ずかしく思い.あめせんを買いその輪に入りました。
自分のこづかいで買った駄菓子を食べながら見る紙芝居は子供にとって最高の醍醐味で、私は今でもその時の事を忘れる事が出来ません。 なので、私の紙芝居の時も必ず最初に駄菓子を販売して、普段「ながら」を注意される子供達もその時だけはで、駄菓子を食べながら、中にはフエラムネを“ピーピー”吹きながら.私はその音に負けない様に紙芝居の上演をしております。 そして今、そこにもう一つの新たな光景が加わりました。 それは、ふかふかの蒸しパンを頬ばりながら見ている子供達の笑顔です。 私は、沢山の人達に、蒸しパンと紙芝居と夢を運んで行きたいと考えております。
熊本地震の中で、子供たちの支援に
昨年熊本地震で被災した後も、紙芝居で子供たちを笑顔に!と支援活動されていました。 当時のLINEの投稿より~ 震災から1カ月半が経ちましたが皆様お元気ですか?身近なお友達の中にも住む家を失ったりと、とてもショックを受けています。 今回の地震で県外から沢山の物資をいただき本当にありがとうございましたm(__)m 震災直後これを持って益城に入りたかったのですが、個人の受け入れがstopされ.行き場を失っていたお菓子もやっと先週より3回に渡り九州音楽京塚幼稚園に“NPOまちかど紙芝居モネイロ.”で紙芝居のliveと駄菓子の振る舞いに行ってきました。 最初のご挨拶からみんなとても元気で安心しました♪最後にお菓子をいただき、子供達本当に嬉しそうでした♪ 物資を送ってくださった皆様ちゃんと子供達に届ける事が出来ました。 本当にありがとうございました⊂(^(工)^)⊃
ロバパン+紙芝居をこどもたちに!
現在、私はボランティア活動で歌と4年前に子育てを通じて出会った紙芝居で「NPOまちかど紙芝居モネイロ.」を立ち上げ、現在、子どもたちや、お年寄りの方相手に上演しております。数年前から紙芝居でツアーに出れたら良いなぁと思っていた矢先、今回の「熊本のロバパン、60年の歴史に幕」のニュースを知り、大好きだったロバパンに残ってほしい!また、あの可愛いロバパン号で、蒸しパンと共に、こどもたちに紙芝居を届けられたらと考えております。生まれて初めて食べたクリームパンはロバパンで、そのおいしさは忘れられません。ゆくゆくは熊本に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんにロバパンを届けて、遠くにお住いの息子さん、娘さんに代わって、今の様子を確認するようなこともしたいと思っています。
蒸しパンは、一番人気だったチョコレート、そしてクリーム、黒糖やジャム系からスタートして、キビ砂糖や季節の果物などを活かした、大切な人に食べてほしいものを極めていきたいです。移動販売ということで、あなたの街にうかがえるのを楽しみにしています。どうぞ、お仲間になってください!熊本県内ではありますが、皆さんのまちへリニューアルしたロバパンと、紙芝居で、子どもだけではなく多くの方に笑顔をお届けできればうれしいです!
資金
ロバのパン権利+調理器具一式、ボイラー移設費、作業場賃料(有機生活の加工所)、ロバパン号 車輛費の一部として:募集金額100万円 (内、お返し品:約20万、 ゆずり葉手数料(15%):15万を含む)
- 【ロバのパン物語 著者・南浦さまからのメッセージ】
- ロバがひく馬車にパンを満載して、町や村に「ロバのパン」がやって来た。そんな時代がかつてありました。最盛期の昭和35年ころのは、全国に150軒ほどの代理店が活躍しました。どの馬車もテーマソング、近藤圭子さん歌う「ロバのおじさんチンカラリ~ン、チンカラリンロンやって来る~♪」を響かせながら販売しました。
いまでは想像も困難ですが、そのころの日本人はほとんどが貧乏でした。ロバのパンの歌が聞こえ出すと、親に無理を言って小遣いを捻出してもらい、子どもたちは馬車に向かって一目散に駆けだした。ロバのパンはおいしかった。そのころの菓子に、うまいものは少なかった。 時代が豊かになるとともに、馬車での営業は困難になり、自動車での販売にかわっていった。パン販売店も減り続け、いまでは全国に数軒になってしまった。
そんななか、熊本のロバパン販売店も廃業してしまうというニュースが、2017年6月に突然飛び込んで来た。そこで立ち上がったのが地元でNPOまちかど紙芝居活動を続けていた福山さと子さんです。彼女の決意は「ロバのパンを続けていくことに使命感を感じた」 そして福山さんのプロジェクトがスタート。「パン売りのロバさん熊本本舗」を立ち上げ、「ロバパン号であなたの街に紙芝居と蒸しパンを届けます」。
福山さと子さんの決意に賛同し、クラウドファンディングでの運営準備資金の支援、またエールを送り続ける・・・わたしもさまざまの応援を開始します。たくさんの皆さまのエールも期待しております。
『ロバのパン物語』著者・南浦邦仁
ゆずり人へのお礼 (支援者へのリターン)
- コース 1(1,000 円):
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①thanks card
- コース 2(3,000 円):
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ステッカー+3個タダ券 (ロバパン号から直接ゲットしてください)
- コース 3(5,000 円):
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ロバのパン詰め合わせセットB(おすすめ蒸しパン5個お送りします!)
- コース 4(10,000 円):
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ロバのパン詰め合わせセットA(おすすめ蒸しパン10個お送りします!)
- コース 5(50,000 円):
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公式ロバさんサポーター認定 ロバのパン詰め合わせセットA(10個入りをお届けします) お名前をロバパン号に一年間掲示(20センチ×15センチ) ホームページへの掲載
- コース 6(100,000 円):
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公式ロバさんサポーター 認定 ロバのパン詰め合わせセットA(10個入りをお届けします) お名前をロバパン号に一年間掲示(20センチ×15センチ) ホームページへの掲載 イベント、お祝い、サプライズ!出張販売に伺います。 (熊本県内限る1日 2018年1月以降で日時は要相談)